
平田郷陽(ひらたごうよう)1903年–1981年
平田郷陽(本名・平田恒雄)は、大正時代の半ばから昭和にかけて活躍した人形作家です。人形作家としては史上初の重要無形文化財保持者(人間国宝)となりました。
前期は写実性を追求し、緻密なリアリズムに根差した作品を数多く手がけましたが、後期になると写実主義から離れ、シンプルでユニークなデフォルメされた人形を作るようになっていったという特徴があります。その作品は各地の有名な美術館に所蔵されているものも多く、いずれも高い価値を誇ります。
人形作りを「芸術」へと高めた作家
1903年、平田恒雄は東京に生まれました。父は郷陽と名乗った人形作家で、人体をリアルに表現する「生人形(いきにんぎょう)」を制作していました。そんな父に人形作りを学んだ恒雄は、1924年に2代目・平田郷陽を襲名します。以後は生人形の技法を活かした日本人形の作家としてキャリアを積んでいきます。郷陽の名は襲名当時からよく知られており、1927年にアメリカから親善の目的で「青い目の人形」が贈られた際には、日本からの返礼品となる市松人形の制作を行っています。その後も、日本政府の依頼で万国博覧会向けに人形を制作するなど、国際的な活躍も見せました。
一方、平田郷陽は、人形作りが単なる「職人の技」であり、「芸術」ではないという現状を改革するため、仲間とともに白沢会、日本人形社といった結社を作り、人形作りの知名度を高めるべく活動します。1936年には鹿児島寿蔵、堀柳女といった人形作家たちとともに第1回の帝展で入選を果たしました。
そんな平田郷陽が、「人間国宝」となって名実ともに人形作りの芸術家となったのは戦後のこと。1955年、「衣装人形」の分野で重要無形文化財保持者に認定されました。その後は後進の指導にもあたり、人形の発展に力を尽くしました。
平田郷陽の代表作
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「粧ひ」
平田郷陽は、「生き人形」を作っていた父の初代・郷陽の影響もあり、生き人形の技術を活かしたなまなましい写実的な人形作りを極めるところから始まり、のちにまろやかにデフォルメされた独特の人形へと変化していきますが、こちらの作品は写実主義を極めようとしていた時期の代表作です。鏡を見つめつつ、かんざしを挿して化粧の仕上げをしようとしている日本髪の女性の姿をかたどっています。その手つきや表情がリアルに表現されているほか、着物はレースのように透けた素材で、女性の優美な裸身が繊細に表現されているのもポイントです。この作品は現在、横浜人形の家に所蔵されています。
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「童と良寛」
江戸時代の名僧・良寛が手毬で子供たちと遊んでいる姿をかたどった作品です。 緻密な写実性から離れ、シンプルにデフォルメされた人形を作っていた時期の作品で、良寛和尚の優しい表情や子供たちの躍動感あふれる身のこなしが見事に表現されています。 この作品は現在、熊本県立美術館に所蔵されています。また、岡山県倉敷市の円通寺公園には、この作品を原型にした石造「童と良寛」があります。
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